我思う故に我あり

日常で感じたこと、考えたことを綴ります。

内戦10年、彷徨えるシリア移民

“If I can’t get to where I want to go, I will go to where I can live.” 

なんと胸に突き刺さる言葉でしょう。人の中に宿る生への執念を感じます。私もそのように生きていこうと思います。

VOAで英語を学び、世界の今を見つめましょう。

 

 

 

 

 

寒さと危険にさらされながら、ヨーロッパを目指すシリア人移民たち(和訳)

Syrian Migrants Face Cold, Danger to Reach Europe

December 27, 2021

learningenglish.voanews.com

 

29歳のブシュラさんは、9月下旬にイラクのエルビルからヨーロッパへの旅を開始しました。

シリア人でクルド人の彼女は、2011年に母国で内戦が始まったとき、デイル・エル・ズールの大学に在籍していました。

イスラム国の戦闘員が近くの地域を支配したとき、彼女はシリアの別の大学に移りました。それでも安全とは思えませんでした。2年間、彼女は家からあまり出ませんでした。

彼女は、国際的な援助団体で働くことになりました。その間に、ヨーロッパに行けるようにと、全財産を貯めました。

そして、戦争が始まって10年後、彼女は旅に出たのです。

 

出発の理由

 

ブシュラさんが去ったのは、シリアの経済が思わしくなかったからです。例えば、彼女の父親の仕事の給料は、戦争が始まった当初は月に100ドル程度でした。現在では、同じ金額でも15ドル程度の価値しかありません。シリアの最低賃金では、月に約2.3kgの肉しか買えません。月によっては、それだけの量を手に入れることができない人もいます。

彼女が去ったのは、最近、住んでいた場所の近くの町で8件の誘拐を行ったイスラム国の戦闘員を恐れたからです。

また、汚職事件で地元の役人を取材したことがきっかけで退職しました。彼女は、報道した人々が自分を傷つけるかもしれないと心配したのです。

彼女の両親は、20代の女性が一人で長旅をすることを心配していまし。しかし、最終的には、ヨーロッパでより良い生活をするために、彼女が旅立つことに同意したのです。ブシュラさんは、シリアに未来はないと言っています。

彼女は最近、AP通信の取材に応じました。彼女は、治安部隊が一生自分を標的にするのではないかと心配していると語っていました。そのため、彼女は姓を名乗りませんでした。

 

困難な旅

 

彼女は安全なドイツに行きたかったのです。そこで、彼女は旅を始めました。最後は、東欧のベラルーシを通り、ポーランドとの国境まで長い距離を歩きました。

ある時、彼女は国境まで行きましたが、ポーランドの衛兵に追い払われました。そのとき、友人は怖くて気絶してしまいました。一緒にいたグループは、捕まらないように溝や木の陰に隠れようとしたそうです。しかし、警備員に見つかり、ベラルーシに連れ戻されました。

しかし、ブシュラさんは2回目に挑戦。

途中で脚を痛めました。

寒い夜には他の旅行者と一緒に外で寝ました。ある晩、あまりの寒さに歯がガチガチになってしまい、友人が歯を折ってしまったこともありました。

そして、ポーランドのある村にたどり着き、そこで車に乗せてもらってドイツに向かった。

「耐え難い痛みを我慢しました」とブシュラさん。そして、「何かから逃げるということは、時として最も簡単なことなのです」と付け加えました。

2021年には約8万人のシリア人がヨーロッパに亡命を申請しました。これは昨年より70%多いのです。2021年にヨーロッパにやってきた50万人の移民のうち、シリア人はアフガニスタン人に次いで2番目に多いグループです。

シリアの人々の約90パーセントは非常に貧しいのです。今年は20%増、合計1300万人が助けを必要としています。シリア政府は彼らを助けることができません。シリア国内では、700万人近くが国内避難民とされ、家に住めなくなっているのです。

 

"住めるところへ行く"

 

東欧の多くの国が望んでいないにもかかわらず、シリアの人々はヨーロッパへ向かっています。ベラルーシ経由でヨーロッパに行こうとした人のうち、15人が亡くなりました。

ブシュラさんは、自分がこの旅で”我慢”できたことに驚いているといいます。

しかし、その価値はあったと。

「希望を失うと、出発点よりも危険な道をたどることになります。」

彼女は、自由な生き方をしようとしているのだといいます。「もう規制は終わりです。」

ブシュラは、もしドイツに滞在する許可が下りなければ、他の場所に挑戦すると言います。

「行きたいところに行けないなら、生きられるところに行く 」と言っていました。

 

 

 

Syrian Migrants Face Cold, Danger to Reach Europe

December 27, 2021

Syrian Kurd Bushra, who only gave her first name, poses for a photograph in Minsk, Belarus, Sept. 22, 2021. (Bushra via AP)

Twenty-nine-year-old Bushra started her trip to Europe from Erbil, Iraq in late September.

The Syrian and ethnic Kurd was a student at the university in Deir el-Zour when the civil war started in her country in 2011.

She moved to another university in Syria when Islamic State fighters took control of areas near her. She still did not feel safe. During one two-year period, she did not leave home often.

She got work with an international aid group. During that time, she saved all her money so she would be able to leave and go to Europe.

Ten years after the war started in her country, she began her trip.

Why she left

Bushra left because the economy was not good in Syria. For example, her father’s job paid about $100 a month at the start of the war. Today, the same amount of money is only worth about $15. The minimum wage in Syria can only buy about 2.3 kilograms of meat a month. Some months, people cannot get that much because it is not available.

She left because she feared Islamic State fighters who recently carried out eight kidnappings in a town close to where she lived.

And she left because she reported on local officials in a corruption case. She worried the people she reported on might hurt her.

Her parents worried about a woman in her 20s making a long trip by herself. But in the end, they agreed she should leave and try to find a better life in Europe. Bushra said she had no future in Syria.

She recently spoke with the Associated Press. She said she worried security forces would target her for the rest of her life. For that reason, she did not give her last name.

A difficult trip

She wanted to get to safety in Germany. So, she started the trip. The last part included a long walk through the Eastern European country of Belarus to the Polish border.

One time she made it to the border but was chased away by Polish guards. At that time, a friend got so scared she fainted. The group she was with tried to hide in ditches and behind trees so they would not get caught. But the guards found the migrants and took them back to Belarus.

But Bushra tried a second time.

Along the way, she hurt her leg.

She slept outside with other travelers on cold nights. One night it was so cold that a friend broke a tooth because her teeth were chattering so much.

At last, she reached a village in Poland where people took them to Germany in a car.

“I put up with unbearable pain,” Bushra said. She added, “Running away from something is sometimes the easiest thing.”

Almost 80,000 Syrians applied for asylum in Europe in 2021. That is 70 percent more than last year. Of the 500,000 migrants who came to Europe in 2021, Syrians are the second largest group behind Afghans.

About 90 percent of people in Syria are very poor. Twenty percent more people need help this year, a total of 13 million. The Syrian government cannot help them. Inside of Syria, almost 7 million people are considered internally displaced, which means they are no longer living in their homes.

“I will go to where I can live.”

Syrian people are going to Europe although many countries in Eastern Europe do not want them. Among those who tried to make it to Europe through Belarus, 15 people died.

Bushra said she is surprised that she was able to “put up with” the whole trip.

But it was worth it, she said.

“When you lose hope, you follow a path more dangerous than where you started.”

She said she is trying to live a free life. “I am done with restrictions.”

Bushra said if she does not get permission to stay in Germany, she will try somewhere else.

She said, “If I can’t get to where I want to go, I will go to where I can live.”

 

 

 

 

Words in This Story

minimum – adj. as little as possible or the lowest that is permitted

faint – v. to suddenly become unconscious

ditch – n. a long, narrow hole often along a road that carries water away

unbearable – adj. too bad or difficult to be accepted or suffered

chatter –v. to make a noise from two things knocking together (such as teeth when a person is cold)

desperate – adj. very sad and upset because of having little or no hope

 

 

 

シリア難民、世界の中でも最も数が多いその理由

世界で難民とされている人数は約2,640万人、シリア難民は、難民全体の約25%を占める割合と言われています。

www.msf.or.jp

苦難が続くシリアの現在

2011年以降、戦火や迫害から逃れるために自宅を追われたシリア人の数は、1300万人以上(※1)。内戦前の人口の半数以上にあたります。国内で避難する人の数は670万人で、その多くが先行きの見えない、不安定なキャンプ暮らしを余儀なくされています。残りの660万人のシリア人は、主にトルコやレバノンなどの周辺国で難民となり、そのうち7割以上の人が国際貧困ライン以下の生活をしているとされます(※2)。さらに2020年以降は、経済危機と新型コロナウイルスの感染拡大がシリア全土を覆い、これらによる深刻な影響も続いています。

シリア内戦10年の被害

2011年3月、東日本大震災が日本国内を揺るがしていたちょうどその時、シリアでは中東諸国で起きた「アラブの春」が波及。民主化を求めて立ち上がる人びとが現れました。

それまで40年にわたり、独裁政権が続いていたシリア。壁に反政府の落書きをした少年たちの逮捕と拷問をきっかけに、抗議デモが瞬く間に各地で広がりました。政府は平和的なデモを武力で鎮圧しようとしたため、抵抗する市民らも次第に武装化し、内戦状態に陥っていきました。

なぜ終わらない?

内戦はその後、さまざまな国がそれぞれに異なる目的で介入し、混迷を深めていきます。トルコやサウジアラビア、米国などの国々は政権打倒をめざす反体制派を支持する一方で、現状維持を望むイラン、ロシア、中国はシリア政府を支援。2012年には戦闘が全土に拡大し、政府や多数の武装勢力、そして諸外国の思惑が錯綜するなか、終結への道筋をつけることがもはや困難となりました。

さらに2013年頃からは、「イスラム国」などの過激派組織が台頭し、統治の空白を埋めるかたちで北部ラッカなどを掌握。各国は「対テロ戦争」の名の下、軍の部隊を派遣しました。紛争はさらに泥沼化し、代理戦争の様相も帯びるようになったのです。

2015年以降は、政府を支援するロシアが空爆を本格化させたため、反体制派は劣勢となり、最後の拠点である北西部イドリブ県に追い詰められています。