我思う故に我あり

日常で感じたこと、考えたことを綴ります。

「Quo Vadis, Aida? 」スレブレニツァ大虐殺題材の映画、セルビアで初上映

実は、このジェノサイドの歴史を知りませんでした。

タイトルのラテン語Quo Vadis」は聖書の中でキリスト教徒が迫害される場面で使われる言葉だといいます。

迫害を受け、ローマから逃げようとしたペトロの前に死んだはずの師・キリストが現れ、ペトロは問います。「Domine, quo vadis?」“主よ、何処へ行かれるのですか”それに対する師の言葉に、自らの行為を恥じたペトロはローマに戻り、処刑されるという一節。それをタイトルにした理由を監督はインタビューの中で話しています。

世界はいつまで繰り返される殺戮から目を背けるのでしょうか。

 

 

 

 

イスラム教徒の大虐殺を描いた映画がセルビアで初上映(和訳)

Movie About Muslim Genocide Shown in Serbia for First Time

 
ボスニアでの大量殺戮を描いた映画が、火曜日、セルビアで初めて公に上映されました。
ノヴィ・パザールの町で2回にわたって上映されたQuo Vadis, Aida? (アイダよ、何処へ?)には、1000人以上が鑑賞しました。この映画は、1995年にボスニアセルビア人戦闘員がスレブレニツァで8000人のイスラム教徒を殺害したスレブレニツァ大虐殺を題材にしています。
フセイン・メミッチ氏は、この映画を上映した文化センターの館長です。「チケットは1時間半で完売しました。」「セルビア全土で上映されるよう訴えています。ノヴィ・パザールだけで上映されるのでは全く無意味なことです。」と話しています。
この2回の上映は、セルビアのどの地域でも初めてのことでした。ノヴィ・パザールは、イスラム教徒が多い町です。
Quo Vadis, Aida? は、2021年ヨーロッパ映画賞の最優秀作品に選ばれました。2021年のアカデミー賞では外国映画賞にノミネートされました。
この作品は、スレブレニツァという小さな町で国連の通訳をしている女性アイーダ氏の物語です。セルビア軍が町を占領したとき、彼女の家族も国連キャンプに避難先を求める何千人もの人々の中に含まれていました。
アイーダ氏を演じたのは、セルビア人女優のヤスナ・ドゥリチッチ氏。彼女は1990年から2005年までセルビア国立劇場に所属していました。ヨーロッパ映画賞では最優秀女優賞に選ばれています。
ヤスミラ・ジュバニッチ氏の映画は、スレブレニツァがあるボスニア・ヘルツェゴビナセルビア自治共和国では、これまで一度も公に上映されたことがありません。
セルビア共和国は、スレブレニツァの虐殺を否定することを違法とするボスニアの法律に反対しています。
元将軍のラトコ・ムラディッチらボスニアセルビア人重要指導者2人は、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所により、スレブレニツァ虐殺での行為に対してジェノサイドの罪で有罪判決を受けました。ムラディッチには終身刑が言い渡されました。

Bosnian filmmaker Jasmila Zbanic speaks and gestures during an interview with the Associated Press in the capital Sarajevo, Bosnia, Saturday, Jan. 30, 2021. (AP Photo/Kemal Softic)
Bosnian filmmaker Jasmila Zbanic speaks and gestures during an interview with the Associated Press in the capital Sarajevo, Bosnia, Saturday, Jan. 30, 2021. (AP Photo/Kemal Softic)
2021年1月30日(土)ボスニアの首都サラエボにて、AP通信とのインタビューで話す、ボスニアの映画監督Jasmila Zbanicさん。(AP写真/Kemal Softic)

ズバニッチ氏によると、セルビアの他の地域やボスニアセルビア共和国の多くの映画館が、この映画の上映を希望していたといいます。しかし、報復を恐れていたのです。
映画の主人公を演じるボリス・イサコビッチ氏。【ムラディッチ将軍】
「この映画が検閲されているのは明らかです。」とイサコビッチ氏は語っています。「しかし、それは映画の力について多くのことを語っています:それは物語を語ることができる強力な武器であるということです。」
 
 
 
Movie About Muslim Genocide Shown in Serbia for First Time
A woman prays at the memorial cemetery in Potocari, after the first public showing of Bosnian filmmaker Jasmila Zbanic's film on the 1995 massacre in Srebrenica. (AP Photo/Kemal Softic)

 

A movie about a mass killing in Bosnia was shown for the first time publicly in Serbia Tuesday.

More than 1,000 people watched Quo Vadis, Aida? over two showings in the town of Novi Pazar. The movie is about the Srebrenica massacre, in which Bosnian Serb fighters killed 8,000 Muslims in Srebrenica in 1995.

Husein Memic is the director of a cultural center which showed the movie. “The tickets sold out in an hour and a half,” he said. “We are appealing for the film to be screened across Serbia; it’s absolutely senseless for it to play only in Novi Pazar.”

The two showings were the first time the movie was shown in any part of Serbia. Novi Pazar is a largely Muslim town.

Quo Vadis, Aida? was named Best Film in the 2021 European Film Awards. It was nominated for Best Foreign Film at the 2021 Oscars.

It tells the story of a woman, Aida, who is a translator for the United Nations in the small town of Srebrenica. When the Serbian army takes over the town, her family is among the thousands looking for refuge at the U.N. camp.

Aida is played by the Serbian actress Jasna Duricic. She was a member of the Serbian National theatre from 1990 until 2005. The European Film Awards named her best actress for her performance.

Jasmila Zbanic’s movie has never been shown publicly in Bosnia and Herzegovina’s autonomous Serb Republic, which is where Srebrenica is located.

The Serb Republic opposes a Bosnian law which makes it illegal to deny that the Srebrenica massacre was genocide.

Two important Bosnian Serb leaders, including former general Ratko Mladic, were found guilty of genocide by the International Criminal Tribunal for the Former Yugoslavia for their actions in the Srebrenica massacre. Mladic was sentenced to life in prison.

Bosnian filmmaker Jasmila Zbanic speaks and gestures during an interview with the Associated Press in the capital Sarajevo, Bosnia, Saturday, Jan. 30, 2021. (AP Photo/Kemal Softic)
Bosnian filmmaker Jasmila Zbanic speaks and gestures during an interview with the Associated Press in the capital Sarajevo, Bosnia, Saturday, Jan. 30, 2021. (AP Photo/Kemal Softic)

 

Zbanic said many theaters in other parts of Serbia and in Bosnia’s Serb Republic had wanted to show the movie. But there were fears of retaliation.

Boris Isakovic, plays a main character in the movie.

“It is clear that (the showing of) this film has been censored,” Isakovic said. “But that says a lot about the power of film: that it is a powerful weapon through which stories can be told.”

 



Words in This Story

 

massacre — n. the violent killing of many people​

senseless — adj. done or happening for no reason​

autonomous — adj. existing or acting separately from other things or people​

genocide — n. the deliberate killing of people who belong to a particular racial, political, or cultural group​

retaliation — n. to do something bad to someone who has hurt you or treated you badly​

censor — v. a person who examines books, movies, letters, etc., and removes things that are considered to be offensive, immoral, harmful to society, etc.​

 

 

 



Quo Vadis, Aida? 

 

 

aida-movie.com
www.youtube.com

 

あらすじ


ボスニア紛争末期の1995年7月11日、ボスニア東部の町スレブレニツァがセルビア人勢力の侵攻によって陥落。避難場所を求める2万人の市民が、町の外れにある国連施設に殺到した。国連保護軍の通訳として働くアイダは、夫と二人の息子を強引に施設内に招き入れるが、町を支配したムラディッチ将軍率いるセルビア人勢力は、国連軍との合意を一方的に破り、避難民の“移送”とおぞましい処刑を開始する。愛する家族と同胞たちの命を守るため、アイダはあらゆる手を尽くそうと施設の内外を奔走するが――。

 

 

ボスニア紛争とはボスニア・ヘルツェゴヴィナ

 

 

ボスニア・ヘルツェゴヴィナユーゴスラヴィア連邦を構成する一共和国だった。1991年にスロヴェニアクロアチアが分離独立を果たし、ボスニア・ヘルツェゴヴィナも同じ道を選ぶ。
ボシュニャク人(ムスリム人とも呼ぶ。イスラム教徒、人口比約44%)、セルビア人(セルビア正教徒、人口比約31%)、クロアチア人(カトリック教徒、人口比約17%)の3民族には深刻な対立は存在していなかったが、隣国に本国を持つセルビア人とクロアチア人は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは少数派に陥った。3民族の利害を調整した政治機構が確立されなければ、平和裏に統一国家として出発するのは困難だった。
独立を問う国民投票セルビア人はボイコット、1992年3月にボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立を宣言すると、国内のセルビア人は隣に接する本国から支援を受け4月に武力で他民族を追い出し、自民族の領域を拡大していく。一時はボシュニャク人と連携していたクロアチア人も同様に自民族の領土拡大に乗り出し、国土は3民族による凄惨な陣取り合戦の場となった。
この戦闘は95年まで続き、人口435万人のうち、死者20万人、200万人以上の難民・避難民を発生させた。

 

 

INTERVIEW
ヤスミラ・ジュバニッチ監督

Q:タイトルのラテン語Quo Vadis」は聖書の中でキリスト教徒が迫害される場面で使われる言葉だと思いますが、イスラム教徒たちへの迫害を描いた本作のタイトルにこの聖書の言葉を選んだのはなぜでしょうか?
A:スレブレニツァの母親たち、女性たちとの出会いから深い感銘を受けました。彼女たちのなかには60人もの家族(息子たち、夫、父、兄弟とその息子たち、夫の家族など)を失った人もいたのですが、彼女たちは痛みを抱えながらも決して復讐を望んでいませんでした。口にするのはただ平和と、セルビア人、ボシュニャク人、正教徒、カソリックムスリムなど皆が共に生きていく暮らしのことでした。彼女たちが望むのは真実と公正です。それにもし皆が復讐を唱えだしたらボスニアはどうなるでしょうか? いまだに戦火の渦中かもしれません。このような痛みを抱えながらも皆のことを考えられる心を持つことがどうして出来るのか、自問しました。彼女たちはこの世を超えた何か、普通は聖人たちに帰するものを持っている。そう考え、神話や帰還についての物語を調べました。そして聖書の物語が完璧に合いました。加害者たちがいる場所へのアイダの帰還は、まさに私が彼女の“旅路”に対して感じていたことと同じだったのです。
Q:スレブレニツァの虐殺」があなたの人生にとってどのような意味を持つのか教えてください。A:ボスニア内戦(1992-1995)の終盤にボスニア東部の町スレブレニツァで行われた8,000人以上にのぼる組織的な住民処刑は、すべてのボスニア人にとって大きなトラウマになっています。紛争中、スレブレニツァは国連によって安全地帯に指定されていました。にもかかわらず1995年の7月、ボスニアセルビア人勢力が街を侵略したため、武力で劣勢に立たされた国連軍はニューヨークの国連本部へ支援を要請したものの、スレブレニツァの市民とともに完全に見捨てられました。スレブレニツァはヴェネチアから空路で40分、ベルリンからは2時間足らずです。ヨーロッパ人の目の前でこのような大虐殺が行われなんて、恐ろしいことです。国連などの組織に対する安心感や信頼は失われ、何千人もの人々が亡くなり、さらに多くの人々が犠牲者の死を悼みました。
スレブレニツァは私にとって他人事ではありません。私はサラエボであの紛争を生き延びたのですが、サラエボもまた包囲されていて、スレブレニツァと同じ運命をたどることも十分あり得たからです。ずっと誰かが映画化すべき出来事だと思っていましたが、自分がその役目を担うことは考えませんでした。それでも、あの話が私の頭を離れたことはありませんでした。私はスレブレニツァについて手に入るあらゆる資料を読み、4本の映画を手掛けたのちに、ようやくこの作品を作る準備ができたと感じました。多くの障害が待ち受けているだろうことは覚悟の上でした。
Q:どのような障害でしょう?A:ボスニアは年に1本の映画しか製作されないような国です。業界と呼べるようなものはほとんどなく、映画基金の規模はとても小さいのです。基金から得られたのは予算のわずか5%相当でした。かつてボスニアユーゴスラヴィアの中でも規模の大きな映画産業の一部でしたが、紛争後、あらゆるものが崩壊して、他国との連携も制限されました。私たちは映画制作の不毛地帯に取り残されました。つまり、資金面でも大きな挑戦だったということです。
紛争後、ボスニアの内部分裂があり、スレブレニツァはセルビア人勢力が統治する地域にとどまりました。私たちの政府にはスレブレニツァで起こった虐殺をいまだに否定するような右派の政治家が多いのです。彼らは戦犯を英雄として称え、スレブレニツァで起こったことは集団虐殺に当たるというハーグ国際刑事裁判所の判決を否定しています。このように、政治もまた巨大な障害です。
しかしその一方で、この映画の誕生を強く望み、積極的に支援してくれた人々も大勢いました。多くのボスニア人が助けてくれましたし、ヨーロッパの9つの国が共同製作としてこの物語を伝えたいと思ってくれました。メインプロデューサーのダミール・イブラヒモヴィッチは非常に勇敢でリスクの高い選択をしました。この映画を作るために何年もかかりましたが、私たちはやり遂げました。私たちはある信念に突き動かされていたからです。人は道徳的規範が破られたとき、また人間たらしめるものすべてが壊されたとき、互いにどう振る舞うのか?これは単にボスニアやバルカン諸国についての話ではありません。人間についての物語であり、どうしても伝えなけれなならないという思いに私たちは駆られていたのです。