実は私にも経験があります。平成の大合併で住所が分からなくなり、宛先不明で帰ってきたことがありました。それ以来、音信不通に。私は引っ越しもしていたことから相手からの手紙も来ず。
それが20数年の時を経て、突然電話がかかってきたのです。それも固定電話を解約しようとしたまさにその日!!携帯電話で間に合う時代、固定電話なんて不要よね、なんて思ってたのですが、それ以来解約していません。今も最高の友達です。
また、他にも手紙にまつわる話があるのですが、またの機会に!
手紙って夢がありますよね!!!メッセージでタイムリーに共有できる便利さにはないノスタルジー!!!
VOAで英語を学び、心にひとときの潤いを!!
”A letter”
51年後に届けられた手紙(和訳)
Letter Delivered 51 Years After Being Sent
February 01, 2022
リトアニアの12歳の少女に書かれた手紙が、送られてから約51年後の12月に届けられました。
現在60代のジェノベファ・クロノフスカさんは、手紙を渡された後、「誰かが私にいたずらをしているのだと思いました 」と語っています。
A prank とは、冗談の一環として行われる芸当、手品のことです。
手紙には、手作りの色とりどりのバラと2つの紙人形が同封されていました。ポーランドの少女からクロノフスカさんに送られたものです。二人は、ペンパルプログラムと呼ばれる、実際に会わずに手紙を書きあう方法で手紙のやりとりをしていました。
この手紙は、他の17通とともに、この夏、ヴィリニュスの旧郵便局で壁を取り払った際に発見されました。
この建物のオーナーはユルギス・ビルチスさん。
「作業員は古い手紙を捨てるように言いましたが、私は代わりに郵便局に電話しました」とビルチスさんは説明してくれました。「彼らが興味を持ってくれたので、とてもうれしいですね。」
1960年代後半から1970年代前半の手紙は、郵便局員がお金や貴重品を探すために探した後、隠された可能性が高いと、ビルチスさんは言います。
リトアニアは当時ソビエト連邦の一部でした。差出人は、オーストラリア、ポーランド、ロシアなどの家族か文通相手でした。
ビリニュスでは、通りの名前とその番号が変わっています。
郵便局員は何カ月もかけて、手紙を受け取るはずの人たち、つまり受取人を探しました。
見つかったのは5人だけ。亡くなった受取人の子どもたちが、失われた手紙を手渡されたケースも何度かありました。
リトアニア郵便の顧客体験部門の責任者であるデイマンテ・ゼブラウスカイテさんは、「私たちは道徳的な義務を感じていた 」と述べています。
ゼブラウスカイテさんはさらに、「ある女性は、この体験を、海に投げ捨てられた瓶からメッセージを受け取ることに例えました。人々は感情的になりましたね。亡くなった両親の日常生活の一部を見たような気がした人もいたようです。」
ポーランドのコチャリからクロノフスカさんに送られた手紙には、1970年のスタンプが押されており、エワという少女が、バスが自分の村まで来なくなり、マイナス23度の寒さの中を歩かざるを得なくなったと訴えています。また、俳優の写真もお願いしています。
60代のクロノフスカさんには、エワさんの記憶がありません。おそらく、新聞の文通募集広告でエワさんの住所を見つけ、手紙を書いたのでしょう。しかし、手紙は届かず、二人の関係は途絶えてしまいました。
「失ったからといって、人生が変わるわけではありません。」とクロノフスカさんは言います。そして彼女は、「もし、求婚者から恋人に失われた手紙を届け、二人の結婚式が実現しなかったとしたら?」と問いかけました。